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【NEWS】「トビタテ! 留学JAPAN」高校生NYプログラムを支援させていただきました!

Naomi Osawa

NYCA has consulted and offered a NYC program to a high school student from Japan this summer, as a part of "Tobitate Japan Scholarship Program" offered by the Japanese government. 

NYCA has consulted and offered a NYC program to a high school student from Japan this summer, as a part of "Tobitate Japan Scholarship Program" offered by the Japanese government. 


この夏、NYキャリアアカデミーでは
日米合わせて300名以上の方にキャリア支援を提供させていただきましたが、
そのうちの1つが
「トビタテ!留学JAPAN」高校生プログラムでした!

※未成年であること&ご本人のご希望から
  お顔と本名を出さずに掲載させていただいております

支援をさせていただいた R.M.さんへは現在高校3年生ですが、
R.M.さんが高校2年生のときに
『ニューヨーク留学』と『トビタテ! 留学JAPAN 応募』について
カウンセリングを受けられたことが
NY現地での支援のきかっけとなりました。

カウンセリング後、数ヶ月経って
「トビタテに合格しました!」と
合格通知が届いた当日にNYCAへご連絡くださったことに
スタッフ一同感動したことを覚えています。

「将来は国際機関で働きたい」というR.M.さんの希望に沿って
プログラム内容のアドバイジングをしたり、
ニューヨーク留学に関する情報提供をしたり、
現地でのアポイント取り等をお手伝いさせていただきました。

実際にニューヨークで数週間過ごしてみて、
R.M.さんの国際機関で働くという夢は
さらに膨らんだとのこと。

R.M.さんは、ご両親や高校の先生に勧められてではなく
ご自身でリサーチをしてNYCAへコンタクトしてくださったこともあり、
今回支援をさせていただくことが出来て
とても嬉しく思っております。

これからも、プロジェクトの大小に関わらず
文字どおり日本から世界へトビタツ 方々への支援を
提供していくことが出来ればと思います!

R.M.さんのNYプログラムにお力添えくださった
NYCA社会人チームの皆様、
ありがとうございました!!!
 

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【NYCAインタビュー Vol.5】杉山孝尚さん〜ニューヨーク大手監査法人の会計士から落花生農家へ〜

Yuki Abe

NYCAインタビュー Vol.5

杉山孝尚(すぎやまたかひさ)さん

ダンサー、ニューヨーク留学、大手監査法人・KPMGへの就職を経て、現在は静岡県でピーナッツ農家として活躍する杉山さん。ニューヨークの会計士だった杉山さんはどんなことをきっかけに、落花生を育て、ピーナッツバターを作る道へ進まれたのでしょうか。

インタビュー・原稿 By NYCAライター 阿部由季


Q: これまでの経歴を簡単に教えてください。

 

ダンサーを目指し、2001年に渡米しました。レコード会社でのアルバイトを経て、名門ビジネススクールの1つであるニューヨーク市立大学バルーク校に入学。専攻は会計学でした。大学3年時から大手監査法人KPMGのニューヨークオフィスでのインターンを始め、大学卒業後に同社へ入社しました。2012年に日本へ帰国し、ピーナッツの栽培・加工・販売までを手がける「杉山ナッツ」を始めました。

 

Q: 様々な経歴をお持ちですが、ダンサーから会計を勉強しようと思ったきっかけは何だったのですか?

 

生計のためにブルックリンのレコード店でアルバイトを始めたことが大きなきっかけです。渡米したての頃は、ダンスのレッスンと語学スクールに行くという生活でした。 当時はニューヨークで経験を積み、世界中でパフォーマンスをする夢がありました。

クイーンズのジャマイカというところにレコード店の本社があり、そちらでのアルバイトの誘いを受けました。ジャマイカのカリブ音楽の大きなレーベルがあり、CDを出したり、アーティストがいたりするようなところでした。

本社では数字を扱う仕事が多かったです。どこのラジオでどのくらいの曲を流して、それに関してどのくらいのお金が入ってくるのかなどを計算していました。 数字については、高校まで出ているのである程度はできるんですよ。 周りのスタッフから仕事を褒められるようになり、大学に行くことを勧められました。

アルバイトを通じて、世の中のお金の流れに興味を持ちました。数字を扱うなら、会計学を勉強するべきだと思ったんです。そしてニューヨーク市立大学バルーク校に入学しました。

 

Q:ダンサーから大学に行くという方向転換をする背景には、どんな心の変化がありましたか?

 

オフブロードウェイのミュージカルやコマーシャルでダンスの仕事をしながらも、ダンスをやっていくことに対して疑問を持っていましたね。ニューヨークには競争相手が多いのです。自分が勝ち残れる自信がなく、モヤモヤとした感情を抱いていました。

そんな時に大学進学を勧められたことが転機となりました。大学に行ってもダンスはできるので、挑戦してみようかなと思いました。

 

Q: ニューヨークでの大学生活はどんなものでしたか。

 

フルタイムで大学に行くかたわら、2年時までレコード会社でアルバイト、3年時からはKPMGの税務ポジションでのインターン、そしてニューヨーク日本人学生会(NYJSA)の会長をしていました。寝る時間もないくらい、忙しい日々を送っていましたが、大学での会計の勉強はとても楽しかったです。

その後、幸運なことに僕は就労ビザの抽選に当たりました。大学卒業後、KPMGでインターンからフルタイムの社員になりました。 仕事の内容は大きくは変わりませんでしたが、より難しい税務の仕事に関わるようになったんです。

 

Q: 他の監査法人への就職や、日本に帰ることは選択肢にありましたか?

 

就職先を選ぶ時に、他の監査法人へ行くことも考えていました。社会全体のお金の流れと法律と照らし合わせて、数字を導き出す税務の仕事の面白さ。そして会社の柔軟な勤務形態が、僕をKPMGで引き続き頑張ろうと思わせてくれたのかもしれません。

柔軟な勤務形態を取り入れている会社でした。 自分が任された仕事を期限と予算内に終わらせる必要はありますが、勤務時間は自由。やる気さえあれば、なんでもチャレンジさせてくれる社風も僕に合っていました。

日本に帰ることは考えておらず、ニューヨークで経験を積みたいと思っていたんです。リーマンショックでたくさんの会社が破産したり、企業買収に遭ったりしていました。ある意味、一番面白い時に入社できたと思うんです。このような歴史的な現状を近くで見ながら働ける経験は貴重でしたね。

その後の仕事は順調で、昇進も何度かありました。そして日本に帰るタイミングの時にマネージャーにならないかというお話もいただいていました。

 

Q: 会計士からピーナッツに出会うまでの過程で、どのような心境の変化がありましたか?

 

順調に昇進し、仕事はうまくいっていましたが、「ずっとこのままでいいのかな」と自分の将来をうまく描けないことがよくありました。 

ニューヨークにいた時の僕は、KPMGで働いていることが自分の価値でした。そこに違和感を感じていたんですよね。どこに行ってもすごいねと言われましたが、KPMGがすごいだけの話です。

それに加え、目の前にある仕事を懸命にこなすだけで人生が終わってしまうことに恐怖を感じていましたね。そして会計の仕事はいずれコンピューターが担い、人間の仕事ではなくなることで、自分の存在価値も将来的には薄くなるのだろうという不安がありました。

 

Q: そんなときにピーナッツに出会ったんでしょうか?

 

そうです。ウォールストリートジャーナル(WSJ)にてピーナッツに関する記事を見つけました。タイトルは”What Is Your Favorite Peanut Butter?” みたいな感じだったと思います。

1904年のセントルイス万国博覧会にて、静岡県の遠州落花生が金賞を受賞したことが書いてあったんです。僕の地元一帯、浜名湖の周辺を遠州と言うのです。自分の地元で落花生が作られていた事実とそれが世界で一番になったことに対し、驚きと衝撃がありました。アメリカに住んで12年。自分の地元の名前をアメリカで見ることはなかったものですから、故郷を愛する気持ちが湧き上がってきました。

遠州落花生でピーナッツバターを作ったらどんな味になるんだろうという疑問と好奇心が湧き上がってきました。また会計士として製造業の方々と仕事をする過程で日本のものづくりの凄さを感じていました。日本のものづくりで、ピーナッツバターというアメリカで生まれたものを作りたいと強く思いました。

これがピーナッツを作ろうと思った最初のきっかけです。KPMGにフルタイムで入社してから5年目の時でした。

 

Q: その決断にあたり、弊社代表の大澤(前職時代)に 相談されたと思いますが、そのときのことで印象に残っていることはありますか?

 

落花生ビジネスを始めることでとても悩んでいた時に、NYJSAの活動を通じてお世話になっていた大澤さんに相談しました。反対はされなかったですね。「今の会社が嫌なら、他のBIG 4に行く道もあると思うし、でもどうしても今(ピーナッツビジネスを)やりたいのであれば、応援するよ!」と背中を押していただけました。

 

Q: 遠州落花生に関する記事を読んだ後、どのように行動していきましたか。

 

仕事を休み、日本へ一時帰国しました。遠州落花生を栽培している人を探しに行きましたが、どこにもいませんでした。 当初は落花生を作っている人がいれば、僕が豆を買い取りして加工しようと考えていました。しかし作っている人がいません。自分で落花生を作るしかないなと思いました。

 

Q: 当時、遠州落花生を作っている農家の人がいない中でどのようにして豆を手に入れたのですか?

 

1904年ごろ「遠州落花生協同組合」というものがあり、その組合の当時のメンバーの名前や住所が書いてある文献を見つけました。その文献に書かれている家に全て足を運び、当時の組合長の末裔の方が紹介してくれた家がありました。

そのお宅の空き地は、100年前に落花生を栽培していた土地でした。当時土の中に落ちた種が花を咲かせては落ちることを毎年繰り返しており、遠州落花生が埋まっていました。僕が探し求めていた遠州落花生があったんです。 土地の所有者の方に許可をいただき、僕はお茶缶1缶分(約200g)の豆を拾ってきました。

 

Q: 諦めずに探し求めた末に見つけることができたんですね。その後はどのようにして現在のようにピーナッツバターを販売できるまでになったのでしょうか。

 

昔の文献を参考にしながら、昔とすべて同じやり方で落花生を増やすことに尽力しました。浜名湖でボートに乗り、海藻と牡蠣の殻を取ってきます。お米を作っている農家さんから米ぬかをもらいます。これらが落花生の肥料になります。

僕が最もこだわったのは、遠州落花生の味です。100年前に世界で一番になった時の味を知りたかったんです。現代の化学肥料を使うやり方で遠州落花生を育てたら、100年前の味と違います。それを知るために、当時の方法にこだわったんです。

そんな努力の末にできた1年目の落花生。 豆がとても小さく、 味はものすごく濃くて甘いのです。小さい身の中に味が凝縮されています。ピーナッツバターにするのがもったいないくらい美味しいんです。その時に「これだ!」と確信しましたね。当時の栽培方法を再現しながら、現代の便利な機械を使って効率的に作ることにしました。

現在は落花生の栽培から加工と販売まで1人で行っています。1人でやることへのこだわりは、「情熱」です。1人で作ることにより、お客さんに「これは僕が作ったものなんです」と自信持って言えるんですよね。

 

Q: 今後は「杉山ナッツ」をどのようにしていきたいですか?

 

「今まで食べたピーナッツバターとは全然違う」と言ってくれて、何度も杉山ナッツのピーナッツバターをリピートしてくれるお客さんがいます。 そんな風に思ってくれるお客さんを少しずつ増やしていきたいなと思っています。

海外にもアピールしていきたいです。11月にニューヨークで展示会があります。日本のいいものを集めたギャラリーに出展することが決まりました。ここでは売ることは目的ではありません。日本のピーナッツバターにはこんなものもあるんですよと味を知ってもらいたいんです。

最終的な目標はWSJに載ること。100年前に認められた落花生として歴史の一部に載るのではなく、遠州落花生でピーナッツバターを作る 「杉山ナッツ」と大きく掲載されたいですね。

 

Q: 現在は社会人をしている元留学生に、何かメッセージはありますか?

 

何か道の方向転換をするとき、何か新しいことを始めるときって怖いですよね。リスクばかり考えてしまいます。でも必ずその先に待っていることは楽しいことなんです。

僕も日本に帰ってきて落花生が見つからなかったとき、「やっぱりダメだったんだな」と思ったことも何度もありました。もう一度就職先を探し、日本で働こうかなと思っていましたが、諦め切れませんでした。落花生を探し続け、豆を見つけ、こうやって今ピーナッツバターを売ることができていることを考えると、頑張り続けてきてよかったと思います。 

成功するかしないかは自分次第です。新しい扉を開けば、楽しいことがあります。だからどんどん自分がやりたいことにチャレンジしてほしいなと思います。

【NYCAインタビュー Vol.2】 長尾紗野子さん ~NY留学を経て、外資系企業へ就職!~

Naomi Osawa

NYCAインタビュー Vol.2
長尾紗野子(ながお さやこ)さん


ニューヨーク留学を経て、今年から社会人としてで働いている長尾さんに
学生時代のこと、就職活動のことについてなど、インタビューさせていただきました!

インタビュー・原稿 By 阿部由季


Q: 長尾さんの留学&就職について、簡単に教えてください。


2010年8月に渡米、ニューヨーク市立大学(CUNY)ヨークカレッジに入学し、1年半リベラルアーツを学びました。2012年1月に同じくCUNYのシティカレッジへ編入学後、2015年12月にコミュニケーション学専攻で卒業しました。

また課外活動として、NYJSA(ニューヨーク日本学生会)という学生団体に2012年から2015年まで約3年半在籍しており、そのうち2年間は代表を務めていました。

2016年2月に日本へ本帰国し、同年5月からHöegh Autoliners(ホーグオートライナーズ)というノルウェーに本社がある船会社の日本支社で働いています。業界としては海運に分類され、自動車や建設機械、インフラ設備などを輸送しています。
 

Q: NYJSAではどのような活動をされていたのですか?


NYJSAで行っていた活動は主にニューヨークとその周辺の日本人留学生への情報拡散やイベント運営です。イベントでは日本人留学生の就職活動支援や、ニューヨークに在住している日本人同士の交流を深める親睦会などを目的としていました。また、当時学んでいたコミュニケーション学を生かして、イベントポスター・広報文作成をメインに担当していました。

当時代表になった時は、年上の方が多かったです。そんな年上の方々をまとめることは当時の私には難しいことでした。あまり強いことを言えるような性格でもないんですよね。ただ、人の話を平等に聞いて、それを1つにまとめて提案する能力があったので、それをうまく使いながら良い方向へ持っていくように努めました。それが徐々に形となってイベントを成功することができました。上から言うのではなく、みんなでボトムアップの精神でやっていこうと思っていました。
 

Q: 就職活動を始めた時期はいつでしたか?


明確な時期というのは無いのですが、2015年夏頃から本格的な対策をしていきました。

時期ははっきりしていないというのは、自身が就職活動を意識する以前から、NYJSAでの活動を含め就職活動を細く長く続けていたんです。社会人交流会などのイベントなどの運営を通して、就職活動をしていたのかなと思います。
 

Q: 就職活動ではどのような業界を受けましたか?


ボストンキャリアフォーラムでは、様々な業界を受けさせていただきました。最初は専攻に関連している、広告代理店、イベント、メディア関係を中心に見ていました。ただボストンキャリアフォーラムだと企業の数が限られてしまうので、メーカーや小売りなどの職種もエントリーしました。日本に帰国後は物流や商品企画の会社を受けました。
 

Q: 就職活動で大切にしていた軸を教えてください。


私が会社選びの際に最も大事にしたかったことは、働く環境です。働き始めると1日の大半を会社で過ごすので、人や環境を大切にしたかったのです。これは会社説明や企業のホームページを読むだけではなく、実際に社員の方と話してみないとわからないことでした。そのため、企業の方とお会いする機会があれば、積極的に話を聞きに行くことを心がけていました。
 

Q: なぜ、今の会社を選んだのでしょうか。


日本に帰国して最終面接を受けましたが、、、その会社とはご縁がありませんでした。それからは業界を絞らずに、もっと色々な業種や会社を見た方がいいのではないかと思い始めるようになりました。

ですが他にも就職活動をしていた訳ではなく、進路に迷い、NYJSA時代からお世話になっていたグローバルキャリアカウンセラーの大澤直美さん(現:NYCA代表)に相談をしました。そして、大澤さんにマイナビが提供する人材紹介サービスいただきました。これが今の会社に出会ったきっかけです。海運業界も今まで考えたこともなかったので、受けるかどうかも正直なところ迷いました。しかし、色々な会社を見てみようと決めていたので、受けてみることにしたんです。

実際に面接を受けてみたら、私の就職活動の大きな軸に強く当てはまったんです。面接でお会いした方々、社風、社内の雰囲気、全てが働きやすそうな環境でした。面接を受けると同時に、この会社で働くイメージが湧いてきました。そのくらい社員の方々と話しやすかったです。その後、面接も無事に通り、入社のお話をいただきました。自分でも驚くぐらい、運命を感じました。
 

Q: 今後はどのようなことをしていきたいと思いますか?


いずれは日本以外のどこかで働いてみたいなと思うことはありますね。

今はノルウェーの会社なので、ノルウェー本社にも入社直後に訪問したことがありました。その時に感じたことは、日本とノルウェーの働き方の違いでした。日本支社は日本人社員も多く、働き方は日本らしいところがありますが、ノルウェーの本社は自分たちのプライベート重視の働き方でした。金曜の午後3時には会社に誰もいないんです。このスタイルに驚きました。それでも会社はちゃんと回っているんですよね。オンオフがはっきりしていてとても健康的な働き方だなと思いました。

このような違いを肌で感じてから、違う国に行って、日本人以外の方と働くのもいい経験になるのかなと思います。
 

Q: NYJSAで活動していたことは、就職活動でどのようにプラスになりましたか?


私の就職活動はNYJSAでの活動を抜きにして語ることはできないのではないのかというくらい、ここでやってきたことはダイレクトに結びつきました。主に社会人と出会って話す機会が多かったこと、代表経験を通してコミュニケーション能力がついたことです。

グループをまとめることはとても難しいです。一人一人の話を柔軟に聞くこと、その方の話を尊重しながら違う提案をすることなどはハードなことでもありましたが、それが徐々に形となってイベントの成功やメンバーの団結に結びつき、自信につながりました。
 

Q: 就職活動でつらかったこと、大変だったことはありましたか?


自己分析と会社選びです。

就職活動をするまで、自己分析をすることがほとんどありませんでした。 今までの自分の人生を振り返ってみると、いろいろなタイミングで決断をしています。その決断には必ず理由があります。無意識で決断している時もあるので、改めて「私はなぜあの時あの決断を下したんだろう」ということを思い返すのは難しい作業でした。それをまた文章にして、書きおこすことも難しかったですね。

会社選びも大変でした。会社ってたくさんありますし、どこから選んだらいいのかもわかりませんでした。何を基準にしたらいいのかも戸惑いました。最初は全く見当もつきませんでした。
 

Q: これから就職活動する学生への応援メッセージやアドバイスをお願いします。


学生のうちに出来るだけいろんな方と会って、自分の領域を広げることはとても重要なことだと思います。。人との出会いを通して、こういう雰囲気は好きじゃないな、でもこっちは自分に合うな、ということが分かるのは大事なことです。多くの人と交流をしながら、コミュニケーション能力を磨いてください。

そして自分は未熟で、まだまだ出来ないこともあることを、学生のうちにきちんと認識することだと思います。自分の伸びしろもそれ次第で大きく変わってくるのではないでしょうか。そして、自分自身をより理解するためには、自分で考えるだけでなく、周りからの客観的な意見も取り入れ、強み弱みをひたすらリストアップすると整理しやすいです。他人に改めてネガティブな部分を言われると、プライドが傷つくこともあるかもしれません。それを柔軟に受け入れる余裕を持つことができれば、自分が考えるよりもっと大きな成長が出来ると思います。

就職活動は人それぞれ。皆さんが一番心にしっくりくる会社に出会えるのを願っています。

ありがとうございました。